1 クレムス-シュテイン(Krems-Stein)の洪水防御システム

世界遺産ヴァッハウ文化的景観の最下流に位置するクレムス市の治水対策の現場は、ハイドロ技術社(HYDRO INGENIEURE)の2人の技術者の案内により調査しました。    

【クレムス市の洪水対策の基本】

ウィーン市より70km上流のドナウ川に面した歴史的都市でヴァッハウ世界遺産に登録されているが、同市は1954年から1991年までにたびたび甚大な洪水被害をこうむり、とくに1991年洪水の損害額は600万ユーロ(経済活動被害は含まず)にのぼった。水害のみならず土砂流出による損害が大きい。そこで、洪水対策システムを増強することを決定し、

次の2つの主要目標を掲げた。①統計上100年に1度の確率で起きる洪水(11,700/s)から街を守れるよう改良した新規洪水対策システムを採用する。そのために既存より1.6m高い防御壁が必要。②シュテインの優れた都市景観を保存することとし、景観に支障を及ぼさない地区でのみ高い防御壁などが許される。最も景観が考慮されるべきシュテイン旧市街にはモバイルシステム(可動式洪水防御システム)を導入する。

【技術的情報】

クレムス-シュテインの洪水防御システムは、地下および地上の構造物を組み合わせたもので、ドナウ川沿い約1,700mに連続的に施している。地下構造は、コンクリート壁の下に地下78mまで埋め込んだシーリング(遮水壁)と基礎(薄い隔壁、矢板壁)に加え、既存の浚渫方法の改善と、防御施設(堤防)の内側での不測の地下水位上昇を防ぐものから成る。地上の構造物(モバイルシステム)は、リベットでしっかり固定した高さ1m、長さ770mの高強度コンクリート壁の上面に可動式壁(高さ1.6m)の設置、一部は川との出入り口となる長さ数mの可動式厚板壁(2.8m)とで構成されている。これらをモバイルシステムとして機能させるのは水位が相当上昇する場合で、コンクリート壁の上にスチール製の支柱(全部で270本)、その支柱と支柱の間に各26kgのアルミニウム製厚板を充填して洪水防御壁をつくることで機能させる。総事業費は1,600万ユーロ。これにより、ドナウ川の水位が相当程度上昇しても、全域を守る洪水防御システムが稼働する。このモバイルシステムは、地元消防組織が他の市町村組織や軍の応援を得て、設置し管理する。

20023月と8月の2度の洪水時に、このシステム全体が実践的で高い効果があることが証明された。このときオーストリアのドナウ沿川の他の地域や隣接諸国では劇的な被害を被ったが、クレムス市ではこのシステムで防御された。システムが完成した1996年以降、2002年洪水後も、クレムス-シュテイン洪水防御システムは水工技術分野の専門家のみならず公的機関代表者や関連企業にも注目されてきた。このシステムが成功していること、恒久的な対策であること、それを可能にしているよく考え抜かれた設計と管理とがうまく合体しているためだ。建設時では、西ヨーロッパ最長のモバイル防御壁であった。

<以上の出所:HYDRO社資料およびレクチャーより>

 

ここでは、洪水に対して可動式の防御システムを採用しています。36時間前に洪水警報が出されると、システムの設置を開始します。まずコンクリート壁の上にスチール製の支柱を立て、立てた支柱と支柱の間にアルミニウム製横板を何枚も嵌め込み、高さ1.6mの金属製防御壁をつくります。そうやって即席の堤防を築くのです。今年6月初めの洪水水位は、このモバイル壁の天端まで達しました。統計上は百年に1度レベルの洪水ということになっていますが、実際には200年に1度レベルだったと見ています。数百年に一度レベルの洪水がここ20年間に2回も起きているんですよ。そのとき、このモバイル壁が効果を発揮して被害を防ぎました。このあたりは過去400年にわたり、数年に1度は街が水に浸かっていましたが、今や安全になりました。

もとからある土堤とその上に築いたコンクリート壁までの高さは1.8m。土堤は従来の洪水防御システムに属するもので、その基礎の上に新しいシステムを積み上げ、新旧を合体させたシステムとなったわけです。住民にとって、モバイルシステムを加えることが必要だったからです。このシステムは24時間以内に組み立てることができ、非常に実用的です。上のコンクリート壁は土堤の中を貫いて地下まで埋め込んであり、コンクリート壁の上面にモバイルシステムの支柱を指し込む部分が設えてあります。小規模洪水の場合は従来の土堤で防ぎ、大規模洪水が来たときには新しいシステムで守る、という段階的な対策の考え方です。その際には、通常は堤防がなくドナウ川に開いている箇所もモバイル壁で封鎖して街を防御します。

この新しいシステムの利点は、以前と変わらず人々が川面を眺めることができることです。街は依然として川と切り離されていません。というのも、洪水は1年のうちのせいぜい5日間くらいで、残りの300日間は川と隔てられないですむからです。設置費用は高価かもしれませんが、長期的には安くなるのです。

 

オーストリアの治水の思想と戦略について説明します。詳細は資料「Flood protection in

Austria」を見てください。技術的なガイドラインが書いてあります。水管理は州政府の管轄ですが、ドナウ川とその沿川は連邦政府が管轄しています。治水の最終的な目的は、まずは人々の生命を守ることであり、次に財産への被害を最小限にとどめることです。洪水防御、土砂管理、とくに経済的に重要な地域の防御、災害保険や補償など被災への経済的救済措置も治水に含みます。水質保全、生態学的な保全もそうです。つまり、治水と生態系保全とは相乗効果の関係にあるという考え方です。そのようなさまざまな方策が経済的にも社会的にも、あらゆる面において持続可能であることが最も重要な要件です。

最重要戦略としては、第一に、関係する人々への情報伝達です。たとえば「洪水対策でできることはここまでです」といった限界を示すこと。洪水対策は万全ではないということを前もって人々に伝えておかなくてはなりません。そこで、私たちが人々にハザード(危険)や、それに対する認識を高めることが必要です。実際に洪水時に何が起きるのかを、洪水から数年もたてば人々は忘れてしまうので、忘れないよう、つねに心がけているよう情報提供し続けなくてはなりません。そのためにも、土地利用を最適化していく必要があります。過去に氾濫があった地域、危険がある地域をはっきり示して、この地域は洪水に遭いやすい、この地域は経済活動に適しているといった区分けを明確にすることです。あまりお金のかからない、個人レベルでの対策をとる動機づけを人々に与える必要があるからです。

 私たちはまた、政府の治水計画策定において担当官庁とほかの利害関係者との間の調整も行います。国レベルから個人レベルまで調整が図られないといけないからです。省庁ごとに管轄が異なるわけで、それらの調整も図らなければなりません。それがうまく行っていない場合、私たちが調査して調整を図ります。居住地域、堆砂地域、経済活動地域、水利用地域といった、異なる区域間での調整も重視しています。もうひとつのポイントは、洪水発生時の緊急対応です。当然、財政支援は必要ですが、大事なことは予報システムを組み込むこと、つまり洪水被害を最小にとどめることです。

統合的水管理には3つの柱があります。まずは防ぐこと、次に洪水に対応すること、そして事後の対応です。1番目の予防については、持続可能な洪水対策によって洪水そのものを減らすことができます。つまり、空間(土地利用)計画、規制、ハザードマップの作成、そしてリスクアセスメント。これらの対策を行うことで、水害そのもの、洪水そのものを減らすことにつながります。2つ目の洪水対応として実際に行っているのは、ダムや堤防の維持管理・調整などです。3つめは、個人レベルでもコミュニティにおいても、人々の意識を高めることです。たとえば、連邦政府の水管理政策に対応した広報物をつくり配布する。水の動きに関する水理学的なモデルを示して、洪水時にはこのような現象が起きるのでこういうように行動してほしい、というような広報活動です。そのような場合には緊急部隊と連携をとってほしいということも伝えています。さらに、治水施設の操業や操作に関する情報も提供します。このようなさまざまな対策を、政府の水管理政策において評価し、さらに向上させていくことが大切だと考えています。

 

 次に、技術的対応についてです。治水政策の方針として対策のヒエラルキー(優先順位)というものがあります。最も重要な対策は、表層水の流下を減らすことと侵食を防ぐことです。農地や森林などの順応的な土地利用を行っていくこと、自然の貯留機能(容量)を高めることで、これは土砂管理にもなります。さらに、生態系のもつ機能を考慮すること、また、できるだけ堆砂も管理していく、などですこういったさまざまな対策は、生態系のもつ機能に沿うように行われるべきです。使用する素材もそうですし、洪水対策も集水域全体のことを考慮して設計されなくてはなりません。集水域全体のなかで採られる対策は、河道そのものでなく集水域全体で行われるということです。貯留、遊水地(reservoirs)も堤防の外、河道外で行うべきというのが、洪水対策の基本的な考え方です。つまり、洪水を下流に速く流し去るよりも上流域でできるだけ貯留する。できるだけ集水域上流で自然なかたちで留めるということです。

居住域や街の治水は、100年に一度の洪水、すなわち計画高水(design flood)レベルの洪水水位への対応を考えて設計します。たとえば経済活動が最重要の地域は確実に防御し、農地や森林に対してはとくに対策を採りません。そうです、治水の最優先順位は居住域や社会インフラを守ることですから、農地などはとくに防御対策はせずに、むしろ遊水地的に用いるという考え方を採っています。

 

 場所によって異なるレベルの洪水対策を行うということですか?

 そうです。居住地区、農業地区、工業地区、森林地区……というように、ゾーンによって洪水防御レベル、それにともなう対策が異なります。(それを計画高水値によって違いをつけるのか、という再質問に対し)土地利用計画上で、まずはハザードマップを作成して、それぞれの地方(region)に適合する開発計画に落とし込みます。ゾーンごとに設計上の基準があります。どのくらい氾濫が起きうるかの基準を、まずは地理的かつ水理的な条件やランドスケープによって把握します。設計者たちは、そこの土地利用状況から見て、そのゾーンがどれくらいの洪水被害となるかを推定してハザードマップにすることで、それぞれの場所にどれくらいのリスクがあるかを見えるようにします。これはEU治水枠組み令に定められています。ヨーロッパは今、その枠組みで統一されています。

 現在の日本の治水の問題は、ある河川のある場所でいったん計画高水数値を決定すると、土地利用に関係なく一律に安全度が固定されてしまうことです。

 どの場所の誰をも等しく扱うという考え方は、こちらでも同じです。すべての人が洪水から守られる同等の権利を有しています。少しの例外はありますが、重要地域は100年に1度レベルの洪水対策がほぼできているので、この点では平等に扱われていることになります。しかし、洪水への対応において低い優先度で扱う場所は30年に1度レベルの洪水への対応策をとり、被害に対しては政府補助金を使って保険や補償を用意するのです。補助金と言ってもさまざまな種類があり、たとえば農地に対しては侵食を防ぐ目的とか。いずれにせよ、あらゆる対策がコスト面から精査され評価されます。仮にコストが高すぎる(過剰である)場合は見なおされ、対策は行われません。たとえば広い氾濫原のなかに住宅が1軒あったとして、政府がその家を守るために周囲に堤防を築くなどということは、費用対効果的に合わないのでやらないということです。EUNarura2000*によっても、生態系への配慮という点からも、どこまでも堤防を築くなどということは許されない。生態系に調和的でないと実施されません。

1990年以前に建築された建物は対策の考慮対象となりますが、それ以降の新しい建物は考慮の対象外です。氾濫域、すなわち氾濫リスクの高いところに新たにコミュニティ(街)がつくられた場合、洪水被害の補償対象とはなりません。ハザードマップが作られたら、首長はそういう危険度の高い場所に建築禁止の規制をしてしかるべきです。そういう場所に建ててしまった建物に関しては、政府はなにも補償しないのです。

 日本ではそのゾーニング自体がいちばん難しいのですが。

 じつはとても簡単なことです。地理的条件からどの土地でも簡単にゾーニングできる。

 確かに、科学的には簡単かもしれませんが……。

 そう、政治的、経済的、社会的に確かに難しい。それはこちらでも同じです。こちらでも全部が全部、成功しているわけではないんです。洪水対策の対象外のゾーンに住んでいる人たちの関心がもっと高ければ……。国の言い分は、「いったい誰が許可を出したんだね? 市町村で許可が出されたのなら苦情はそっちに言ってくれ」というもの。行政と開発業者が癒着して「なんとか許可してくださいよー」というようなことで許可を下ろしてしまった、というのであれば市町村行政の責任だね、ということです。

 

さきほど、ここクレムス‐シュテインの洪水対策を見ました。少なくとも100年に1度レベルの洪水への対策が採られていましたね。この写真は昔のこの事務所近くです。水に浸かった街で人が桟橋のような板の上を歩いています。100年前の人々は洪水に慣れていました。1階は水浸しになるので貴重なものは置いておかないとか、こういうふうに歩道を設置してやり過ごしていました。川沿いの交易(商業)の街だったので、お金もうけができる代わりに洪水被害もあったのです。こういうふうに適応できていれば、洪水被害は小さくてすみます。氾濫への適応です。こういう適応性をだんだんなくしてきたということです。この写真は1991年の洪水のようすです。この時までは対策がしっかり採られていなかったので(洪水のたびに)こうなっていました。さきほど見て来たところはすべて水の中。そこで、新たな洪水対策を議論し始め、防御壁によるシステムをつくる決定をし、技術的な検討をしていきました。それがさきほど見たモバイルシステムです。

新しい防御壁システムの総延長は約1,700m。支柱数は270本。そこにアルミ横板を充填していくモバイルシステムなので、取り外し、移動ができます。地下78mまでコンクリート壁を(地下部分は地質によりシートパイル素材などを矢板のように)打ちこんでいます。洪水時に街側へ地下水が侵入するのを防ぐためで、地下水対策も兼ねています。総事業費1,600万ユーロはけっして安い額ではありませんが、数百年レベルの洪水の被害額2,100万ユーロと比べれば安い。一度投資すればずっと使えることを考えると費用対効果は非常に高い。ここ20年で200年に1度レベルの洪水が2度も起きているわけですから、費用対効果は非常に高いと言えます。

 

 費用の財政負担比率はどうなっているのですか?

 連邦政府が50%、州政府が30%、残り20%が市となっています。このような洪水対策システムを採用するさいの国の制度的ルールです。地元負担が20%あるのは、受益者としての認識をもってもらうためです。このモバイルシステムを設置するのは地元のボランティア(自治的)組織で、消防のほか大災害にも出動します。市のプロの消防組織とは別のコミュニティの自治組織です。オーストリア全土にある優れた伝統的な自治の仕組みで、数千人がこれに参加しています。この組織でモバイル防御壁を設置する訓練を行います。設置は半日~1日以内でできます。

 大洪水のときはドナウ川の流量はどれくらいになるのですか? 

 ここでの洪水流量は100年に1度確率だと毎秒11,200m3です**。

 ドナウ川以外から街に溢れてくる内水に対してはどう対処していますか?

 降雨で下水が街にあふれた場合、排水ポンプ場が稼働して街中の水をポンプで川に排出します。ドナウ川の水位のほうが高くなるので、ポンプが必要なのです。それも洪水対策のひとつです。

 クレムス-シュテインにモバイルシステムを設置した理由は、街から川が見える景観を残すためですか?

 そうです。全体を壁で覆ってしまえば川が見えなくなり、観光地としての価値がなくなります。街を守らなくてはならないときだけ壁を設置するようにするには、このシステムを採用する必要がありました。観光地としての地元の利益を考えて、みんなの意見を聞いた結果、こうなったということです。私はここの住民ですが、この土地が高さ3mもの壁で川と仕切られるなんてことは嫌です。

この写真は、今年6月初めのドナウ川洪水のときのモバイル防御壁です。このときは壁の天端ぎりぎりまで水位が来ましたので、モバイル壁の上に土嚢を積みました。2002年洪水以来の、モバイルを使用した試みとなりました。とにかく大成功でした。別の写真も見てください。このときのモバイル壁にかかる水圧を想像してみてほしい。水位3m分の水圧ですよ。このシステムはドイツでも試行されていますが、いまだ一度も決壊したことがありません。今回、この壁の天端まで水位が到達しても、このシステムが有効だということがわかりました。設計がとても優れています。少なくとも、天端20センチ残すところまで水位が到達しても、壁の強度は問題ないのですが、仮に洪水が壁を越えたとしても、壁の強度は変わらず持ちこたえます。たとえ水が壁を乗り越えて街に入ったとしても、その量は(モバイル壁がない場合と比べれば)たいした量ではありません。

 

注:

Narura2000* EUの自然保護・生物多様性政策の中心的な政策で、ヨーロッパの最も価値ある種および生息地を長く保全することを目的に、1992年生息地指令により指定された自然保護地域のネットワーク。生態系と人間の経済活動が両立できるような管理方法の確立をめざしている。(EU公式サイトより)    

http://ec.europa.eu/environment/nature/natura2000/

 

**利根川の基準点・八斗島での計画高水流量は毎秒16,000m3と、ドナウ川より高く設定されている。

 

なお、関連して下記も参照されたい。

 「ヨーロッパにおいて河川復元(自然再生)を促進する3つの大きな動き」

                      中村圭吾 (土木研究所)

http://www.pwri.go.jp/team/rrt/staff/researchtopics/eawag_rep/rep20040607a.htm

<お知らせ>

愛知県長良川河口堰最適運用検討委員会がパンフレットを発行しました。

 


 
 
 
 
 
『166 キロの清流を取り戻すために まずは長良川河口堰の「プチ開門」を実現しましょう

 http://www.pref.aichi.jp/soshiki/tochimizu/nagara-sasshi.html 愛知県のHPに内容が掲載されています
★冊子を希望する場合は上記のアドレスから

申込が可能です。

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会報Vol.10をHPに掲載しましたのでご覧下さい。

 

オーストリアの統合治水、現場報告

ヨーロッパ河川再生会議報告